何も持たずに公園に行くこと 業の散歩

現在シェアハウスに住んでいるのですが、油断して鍵を持ち歩くのを忘れていると、住人が全て出払い、ハウスから締め出されることがよくあります。

こうなると、現金もないし、携帯も充電が切れそうだし、本も持ってないし、何もできません。

最初は《何もできないし》最悪だなあと思うのですが、以外と公園をフラフラしながら考え事をすると、いいアイデアが出てきました。こういう時間も悪くないなあと思いました。

最近は翻訳をしたり、本を書いたり、プログラミングを学んだり、プログラムを書いたり、一日中しているのですが、こういった作業は頭を使って考えてはいるけれど、公園で何もない環境で考えるのとは、また少し違う頭の使い方をしているような気がしました。

資料を読んだりしながら何かを作るために考えるのと、公園で何もない状態で自分の頭の中だけで考えるのとは、同じ考える、でも異なる性質があるのかもしれません。そして、この二つの考えるをバランスよく行うことが、良い結果を出すために大事なのではないかと感じました。

公園で何も持たずに考える、の方の考えるを最近していなかったなあ、と強く感じました。

私が小さな頃、まだ生まれた街にいた時、ほとんど情報は手に入りませんでした。大きな本屋さんは電車に乗らないといけない隣町にありましたし、インターネットもない、アマゾンもない、図書館にも私が知りたいような情報が書かれた本はありませんでした。もっといろんなことが知りたい、という飢えに近い感情がありました。

情報がなければ、自分で考えるしかありません。だから、今日したような、なんの資料もないまま、一人で考え続けるようなことをよくしていたように思います。

そして、その時に考えていたことが自分の思考の箱となり、今も私の中にその箱はあります。新しく手に入れた知識は、その箱にしまわれます。

そういう意味では、一人で黙々と考えることは、その箱自体を大きくしてくれる、もしくは新しい箱を作ってくれるのではないかと思いました。外から入ってきた知識をしまうための箱です。

この箱がないと、いくら新しいことを知っても、自分の中にしまうことができません。しまうことができなければ、知識は、知識のまま、自分の外側にあるままで、自分の中に入ってこれないのです。だから箱というのはとても大事です。

もちろん、空っぽの箱だと意味がないんですけどね。箱だけが大きくなっていって、中に何も入っていないと、これはこれで不健康です。

箱だけが大きくなって、中に知識が入っていないと、思考は空転します。カラカラと音を立て、虚しい時間が過ぎていきます。もしかすると思春期の特有の感情は、この箱のサイズと中身のアンバランスさが引き起こすのかもしれません。もう知識の箱は大きくなっているのに、加えて心も成長し、体ももちろん成長しているにもかかわらず、社会が自分に要求するのは、受身な子供としての自分です。そんな変な考えをせず、言われたことをやりなさい、教えたことを覚えなさい。自分の箱は大きくなって様々なことを受け入れる準備ができているのに、依然として子ども扱いです。このアンバランスさが思春期特有の感情を引き起こし、そしてそのバランスを取ろうとがむしゃらになる時期こそが、反抗期機であり思春期なのかもしれません。

この箱の成長はいいところで止まります。そして中身も埋まり、安定した人間として社会に出て行きます。これがふさわしい形です。

しかし、インテリは笑、この箱がどんどん大きくなってしまうのです笑

そうなるとバランスを取る方法はただ一つ。必死に箱を埋めるしかありません笑

そしてタチが悪いことに、この箱の空っぽであることに由来する飢えは、お金や名誉では埋まらないのです。代えが効かないのです。やっかいですね笑

こういう人は割合として少ないかもしれません。ですから変わり者だと思われるでしょう。しかし、本人はそうするほかないのですから仕方がありません。暖かく見守ってあげてほしいと思います。

話は少し変わりますが、カルマという言葉があります。漢字では業と書きます。仏教用語です。輪廻転生の考え方と結びついて以下のようなアイデアに至ります。今生の世で自分が行わなければいけない宿命のようなものは、変えられない。これは前世から受け継いだものである。前世にやり残したカルマを、今生にも受け継ぎ、そしてその達成が課されているのである。

特に私は熱心な仏教徒ではありませんし、今宗教的な話をするつもりはありません。しかし、このカルマというアイデアには、人が成し遂げなければいけない事柄に関する、深い洞察が含まれているように感じます。

例えば前世で母親と生き別れた人は、次の世で、母親を大事にすることを頑張りなさいということになります。そして、お母さん思いの子として生まれて、いつも大切にしてあげるような子になります。そしてそれは、もう前世から決まっていたことであって、そうしないことは、自分にとって良いことではないよ、というようなことを言います。自分はお母さんを大切にしたいのに、世間からマザコンだと言われてしまう。やめようと思う。

しかしカルマが示しているのは、世間や他人が反対しているからといって、自分のすべきことに逆らっても、うまくいきませんよ。自分の役割を全うすべきなんです、ということです。

もう決まっているんだから、抵抗しても無駄ですよと笑 素直にやりなさいということです。

なんかスピリチュアルな話になってしまいましたが、言いたいことはシンプルで、自分がやるべきことから逆らうのは無理だし、それを一生懸命行うのが、一人ひとりの務めですよ、ということです。

話はインテリに戻って、インテリのカルマとは、箱を大きくして、そして箱にしっかり役立つことを詰めこんで、それからその中身を使って社会に役立つことです。それから逃げることはできないでしょう。

肉体労働は多分向いていないでしょうし、単純作業もうまくできない。そういうことが上手い人はたくさんいますから、そんなところにインテリがいても邪魔なだけです。人の邪魔をしてはいけません。

やるべきことは、他の人がやりたくないようなことだけれど、自分は苦もなくできて、しかも他人の役に立つことです。

そしてインテリは、勉学に勤めて、その知識を使って他の人がクリアーできない社会的な課題を解決することでしか役に立ちません。それ以外のフィールドではポンコツです。ポンコツは必要とされていません。

ということで、自分が、インテリといわれる種類の人間かもしれないと、薄々気付いている方は、もう逃げることはできないという覚悟をもって、早めに道を変えたほうが良いと思います。

カルマからは逃げられないのです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です